「CMってナニ?」(2)2013/05/11

「CMってナニ?」(2)

★男がひとりいる。頭を低く垂れ、肩を深く落とし、背だけ見せている。自動車事故の加害者である。「彼は世間に顔向けできません」「今日ハンドルをにぎるあなたの明日のうしろ姿かもしれません」と重々しい声が語りかける。

★これは1975年春、損害保険協会の自動車保険のキャンペーン。このコピーを書いたのは、当時、電通クリエーティヴに籍を置いていた向井敏氏(1930~2002)。 1977年、日本実業出版社から出した《紋章だけの王国》の中で、「白状すれば書いたのはわたし」「このキャンペーンは新聞、雑誌、ポスター、ラジオ、テレビ、劇場とマスコミ全媒体にわたり、投入された広告予算も同協会はじまって以来の規模を伝えられる」と述べて居られる。

★ご存じのように向井氏は、文芸、社会、広告、その他あらゆるジャンルで、鋭い批評の筆を執り続け、ワメもいろいろお世話になり、私淑していた人物。その文章をもう少し追ってみる。

★「この広告のテーマは暗い。それを暗示によらず単刀直入に言い切ってみせている、このやり方は従来のこの国の広告表現にはほとんど例がない。そのために、いわゆる恐怖 訴求の巧みさにこの広告の力を見ようとしがちだ。けれども、それではことの本質を見あやまる。この広告のもつ最大の力はじつは商品に関する明確な主張の存在である」「なぜ自動車保険が必要なのかという主張が、主導低音のようにこの広告全体をひたしている。これに比べ、いわゆる恐怖訴求は従にすぎない」

★「《受け手におもねらず》《本当に言いたいことをダイレクトにぶっつけよう》という広告観は、《夢を売る》フィーリング広告が覇を制してきたこの十年、CMづくりでは異端でしかなかった。あるいは、けっして実現されることのない正論であったというべきか」

★そう、想い出す。同じ1975年、この広告を追って、ゼンマイ仕掛けのおもちゃのボクサーの動きが止まり眼が白くなる、つまり「死」をはじめてCMに持ち込んだ明治生命「チャンピオン」がオン・エアされた。なにしろ40年ムカシのハナシ。こうしたネガテイヴCMをライヴで見たヒトは、もはや少数だろう。

★なぜ、こんなハナシを引っ張り出したのか。それは今、この国が、と言うよりワメ等の日々の生活が、一見平和な「日常CM」に塗りたくられて窒息させられているからやねん。時々は「エセ日常」引っ剥がすCMを、誰か作ってんか。

「CMってナニ?」(1)2013/05/10

えー、60年近く、CMに関わって来た。それで食べてきたのは紛れもない事実。
この辺でチョイとふり返って、時々、マジメ半分、CMのコトを考えてみるか。

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「CMってナニ?」(1)

★CMの価値の中心は、ニンゲン同士のコミュニケーション活性化に在る。
いわゆるマーケテイングの道具としての経済的な価値は、その次に来る。
そのことを、よく認識しているクライアントは、チャンとモトを取る。
目先のPR効果、販売促進にせっつくクライアントは結局、損をする。

★CMの作り手、クリエーターにとっても、事情は同じ。自分自身の価値観が先にあって、それに合わせて対象商品をPRする。クライアントの価値観は二の次でヨロシ。個人的(あるいは意志のよく通じ合ったチームの)積極的好奇心と興味ナシでは、社会にシッカリ届く表現は、まず生まれない。

★ハナシは半世紀ほど古くなるが、かつて加藤秀俊氏が、現代の消費者にとっては「広告によって紹介される興味よりも、むしろ広告それ自体に対する興味が先行している」「現代の広告は、モノを売るための手段というだけではないのである。広告は、広告のために、自己目的的な意味と責任をもっているのである。もっとラジカルないい方をすれば、ある広告によってモノが売れようが売れまいが、そんなことは、広告の責任ではないというぐらいの気がまえが、広告マンにあってもよいのではないか」と書いた。(1962年「月刊広告」12月号)

★そして、これに対してサントリー宣伝制作課長、今井茂雄氏が反論を書く。
「広告マンが、広告とはモノを売る手段だと開き直ることは錯覚だ、と加藤氏は言われるけれども、広告から、その本質であるコマーシャリズム、つまりモノを売るという機能をとりのぞいたら、広告は瞬間にこの世から消えてしまうはずである。あとに残ったものは、タワイもないザレゴトか、好事家のスサビものとなった何かにすぎない」(1963年「月刊広告」3月号)

★そしてこの論争を《価値転轍器》の中で取り上げた山本明氏は、「私は何も氏の愛社精神がいけないことだとはいわないが、現代の広告は、もはや一企業的ビジョンでは割り切ることのできぬ性質を持っているのである」と。

★さよ、そーゆーことなのだ。これを、当時流行りのマクルーハンとやらのご託宣でナゾれば「メディアがメッセージだ」と言うことやんか。


★序でに、山本氏の著書《価値転轍器》のテーマを、絞ってご紹介して置こう。

「今日の社会では、商品の流通ルートのほかに、もう一つのルートが必要になる。それは広告のルートだ。そのルートは、モノである商品をシンボル化すること、商品に意味を与えるルートなのである。商品のシンボル化とは何か。それは、商品の商品学的属性を離れて抽出される一つのイメージのことである。それはたとえば《ふしぎの国のアリス》に出てくるネコのようなものだ。アリスが道を歩いていると、木の枝に大きなネコがいて、ニヤニヤ笑っている。ネコはゆっくりゆっくり消えて行く。シッポの先から消えはじめて、胴が消え、脚も消え、最後にニヤニヤ笑いだけが残る。ネコというモノが消えて、後に残ったニヤニヤ笑いこそネコの抽象的シンボルに他ならない。商品が消えて、いわばニヤニヤ笑いだけを残すということが、商品のシンボル化なのである」

★さよ、上手い説明だ。ネコのニヤニヤ笑いだけを残すこと。これがクリエーターのシゴトなのだよ。

★因みに《価値転徹器》は1969年、誠文堂新光社から発行された「ブレーン・ブックス」シリーズの一書で「シンボルとしての広告」とサブタイトルされてる。