「オバマというゴタマゼ壷の中味」2011/12/06 15:37

えー、またまたまたクリ君、来年のオバマ再選についてのコラム。ちょいと身辺雑事に取り紛れ遅くなったがご紹介致す。

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「ヘラ鳥ウォッチング」

「PRESIDENT AS PINATA」(11/28)

「オバマというゴタマゼ壷の中味」 ニコラス・D・クリストフ

オバマ再選選挙の1年前、先ずは他の西側リーダー連が経済大渦巻のド真ん中で選挙にどう対処しているか、見てみよう。

スペインの社会党政府は先週、地滑り的大敗を喫した。1977年に民主的選挙が導入されて以来、議会内勢力は最小。アイルランドからフィンランド、ポルトガル、デンマークまで、同じように現職減少パターン。スペインはヨーロッパで、この8年に転覆した8番目の内閣になる。

この経済危機の中で、オバマも同じような向かい風やねん。不平タラタラの民主党に警告を発するべきやんか。今のやり方にサンセイではない、のならチョイト待つべきやろが。

オバマはスーパーマンもビックリの期待を背負ってホワイトハウスに入った。左派の多くも右派の言い分を信じた。つまりオバマは古くさいリベラルだと。だがオバマの慎重な中道志向は右派を喜ばせはしなかったが、左派の顔を顰めさせた。

他の連中と同じく、オレもオバマにガッカリした。彼は経済危機のスパンを読みそこなったのや。彼はオドロクほどコミュニケーションがヘタだった。しかし、来年の選挙を前に、大きな筋書きを観ることがダイジだ。彼は左派、右派の批判に対し、よくやった方だぜ。彼はこの半世紀最悪の景気沈滞のド真ん中でホワイトハウス入りした。諷紙刺「ザ・オニオン」は、当時のオバマを「アメリカ最悪のシゴトを引き受けた黒人」と書いたのや。

彼の政府は、アメリカを経済破滅の崖っぷちから救った。オバマは、スケールとしては小さ過ぎたけど、民主党下院が提案したよりは、はるかに大きな経済刺激を施行した。クルマ産業を救い、かのセオドア・ルーズベルト以来何人もの大統領が求め続けて来た医療保険改革を、とにかく達成した。

政府への悪意ある反対にも拘らず、オバマはタバコ産業の規制を実行した。教育に於いては、教員組合への民主党の因習的支持を止め、一方で公立小学校を強化した。

外交面では、いくつかの大きなリスクを侵した。パキスタン国内でのビンラデイン殺害を承認し、多くの批判を浴びながら、カダフィ政権転覆の国際的努力を主導した。でも、これは結果として成功だった。

景気下降がスベテに影を落としているが、これは何時の大統領にも起こったことやねん。レーガンは1983年1月に、経済トラブルから支持率を35%に落としている。大ブッシュの場合も、経済の停滞が人気に影を落とし、1992年、支持率は29%に落ちた。それに較べれば、オバマの支持率は、ギャラップに依れば43%だ。

イリノイ州上院議員デイック・ダービンは、リベラル連中は最終的にはオバマの背後で結束するだろうと、オレに語った。「4年前のようには行かない。でも左派の支持を得るのはマチガイ無いとオレは思う」と。

とは言え、オバマが4年前の熱狂を再現するのはムズカシイし、フロリダやオハイオと言うカナメの州で、勝利を繰り返せるかどうかはワカラナイ。

そこで、共和党としては、目下の予想候補者ロムニーでは、大きな人気ギャップがある。(共和党は、オバマと闘える候補者を探している。中に一人、ジョン・ハンツマンが居るが、共和党はあまり乗り気ではない)

今週初め、オレは、政治に関しては他の誰よりも本能的な感覚を持っているビル・クリントン氏にオバマの再選のチャンスについて聞いてみた。「オバマが再選されなかったらビックリやねん」と彼は言い、ロムニーの如き対抗馬相手では、オバマが有利と語った。

クリントンによれば、ロムニーはマサチュセッツ知事としては「イイ仕事をした」し、候補としては有力だと。しかし、とクリントンは続けた。ロムニーに限らず共和党候補者は、共和党予選の知能指数の低い政治的環境に妨げられてしまうだろうと。

オレはヨーロッパのイロイロな選挙が、民主党を刺激して、現実を受け入れることを望むぜ。ここ2、3年の内に左派は右派と一緒になってオバマをゴタマゼ壷(PINATA)にしてしまったのや。

さよ、2000年を振り返って見ろや。多くの民主党員とジャーナリストが一緒になってアル・ゴアを無視し、その短所をあげつらったやんか。大きな流れを見ずに、テメエ等の優越点を見失い、あの小ブッシュにダイジな8年間を委ねる結果になったやんか。

今回こそは、展望をシッカリ捉えねばよ。万一、後1年でオバマをホワイトハウスから追い出すことになれば、それは、この難しい時点に立たされた現職大統領への不満と言うより、共和党候補の方がより望ましいと判断されたからやろ。

「後悔しつつ銀行屋は語る」2011/12/07 15:37

えー、またまたまたまたクリストフ君。ウタの世界では歌手ノサカの専属作者を名乗るワメだが、このブログでは、クリ君専属悪訳者として、彼のコラムをご紹介致しまする。

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「ヘラ鳥ウォッチング」

「A BANKER SPEAKS,WITH REGRET」(12/02)

「後悔しつつ銀行屋は語る」  ニコラス・D・クリストフ

「ウォールストリート占領せよ」騒ぎが、かくも大きな牽引力を持ったのはナゼか?それを理解するために、元銀行屋、ジェームズ・ゼクストン氏のハナシを聞くことにしよう。彼や他の銀行屋たちが、アメリカの住宅金融大混乱のモトを作ったことを、彼は全面的に認めて居るのや。

南フロリダの《チェイス住宅金融》の副社長として、ゼクストン氏は、住宅ローンの借り手からカネをスコップで掘り出したのや。2007年に、彼のチームは20億ドルの抵当権を設定した、時には「書類不要」の抵当権を。

借り手は、契約に当たって「職業も収入も資産も記入する必要がなかった。それでOKだったのさ」と彼は言う。

借り手は気紛れな決心をし、自分の資産を誇大視した。しかし銀行屋は更にその上を行った。スベテは銀行トップからの圧力に依って動かされたのや。「2万ドルの年収者に50万ドルの住宅を買わせる。相手がそれを抛り出すことを知りつつ。ヒドイ話さ、しかし各銀行はグルで、このテのローンを作り出す計画を樹てたのさ」と彼は言う。

特に、抵当権が保証され投資者に売られる時、銀行上部は、さらに手っ取り早い方法に踏み込んだ。「銀行屋のボスたちは、スベテ承知の上で、何百万ドルを稼ぎ出す計算をしたのだよ。なに、かまうものか、知ったこっちゃない」と。政府は銀行を救済してくれる。それにモンダイのローンは、もう此処には無い、多分、海の向こうさ。

ヒトツの記憶がゼクストン氏の良心を苦しめる。何人かの営業重役は、プライム・ローンではなく、サブプライム・ローンから、7倍も高い手数料を稼ぎ出したのや。そのために彼らは、よりアホな借り手を探した。学歴が低く、抵当に関しての経験も無く、英語もよく喋れない相手に、サブプライム・ローンを押しつけたのや。アホな借り手とは、黒人とラテン系が殆どだった。次第に高くなる抵当権が払えなくなって、彼らは買った住宅を手放す。銀行の上部役員たちは、この人種サベツを利用して、モンダイを誤魔化したのや。

ゼクストン氏の邸宅の棚は、チェイス銀行からの賞状でイッパイだ。例えば「年間最高セールス・マネージャー賞」これは2006年の彼の業績を示している。彼の高評価の60%は、ハイ-リスク・ローンを売り捲ったことだ。

2008年後半、抵当権市場が崩壊した時、ゼクストン氏と多くの仲間は解雇された。チェイス銀行に恨みは無いと彼は言う。しかし、こうしたインチキ銀行が救済されたのに、引っ掛かったローン利用者たちが住宅を取り上げられたのは、不公平のキワミだと。

このハナシのウラを取るべく、オレはJPモルガン・チェイス銀行に電話したが、狂気じみた、この抵当権契約について、否定しなかった。スポークスマンは、銀行が巨大なマチガイを冒したことを認め、これからは決してサブプライム・ローンや書類不要の契約など行なわないとヌカした。(ヨック言ウゼ!)

しかし、不動産ウェブサイト「ZILLOW」によれば、アメリカの抵当権の28%は「水面下」に在ると。つまり、住宅価格は1年前の23%より騰って居り、それが経済硬化に影響している。不動産と建設業が再生しない限り、大幅な経済回復は望めないと。

こうしたスベテは、今週の「ブルームバーグ市場」誌の貸借記録による恐るべき暴露に示めされている。「Fed」(連邦準備銀行)が銀行救済のために拠出した額は、7兆8000億ドル、アメリカ国民一人当たり25000ドルだぜ。

この記事によれば、銀行屋どもは、カネを高率で企業や消費者に又貸しすることで、130億ドルを稼ぎ出したことになる。Fedの対応はスキャンダルではなく、成功と言えるだろう。金融崩壊を避けるため、考え得るスベテの手段を講じ、カネは取り戻された。

スキャンダルと呼ぶべきは、基本的不公平だ。Fedは、恥知らずな方法で高給を貪った銀行屋どもを救済した。銀行の株主や投資者は保護した。しかし、無力な、知識の低い国民には背を向けたのや。昨年だけで、銀行は100万件以上の住宅を抵当物件として手に入れたのや。さよ、モンダイに巻き込まれた借り手を助けるプログラムもあるが、到底充分ではない。

オレは今、娘と一緒に、スタインベックの「怒りの葡萄」を大きな声で読み合っている。あの大恐慌時代の不公平が、そのままバッチリ現代やんか。だから「ウォールストリート占領せよ」が、あんなに深い反響呼んだのだ。政府がどーしょーも無い銀行屋を大騒ぎで救済し、住宅購入者を見捨てる。これは経済の失敗どころではない、「極悪」やんか。

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ウム。クリ君の怒りがワメに伝染して、やや過激過ぎる偏向訳となりぬねの。サブプライムに関するコラムは何本もご紹介したが、ここまでの「直言」はハジメテやろ。

「ヤマモト・イソロクの真実」2011/12/09 15:37

えー、12月8日と聞けば、ある感情が湧いてくるワメ世代。一番カッコ良かった軍人が山本五十六。アッチから見れば、フグタイテンの敵やろ。しかし、このコラムは、丁寧に彼の実像を描いた。今、フツーの日本人はここまで知らない、知ろうとしないのや。

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「ヘラ鳥ウォッチング」

「THE RELUCTANT ENEMY VINDICATED BY DEFEAT」(12/08)

「ヤマモト・イソロクの真実」 イアン・W・トール

(桑港:発)

70年ムカシの水曜日、ハワイの晴れた朝、突如、何百機の日本軍用機が真珠湾上空に現れ、アメリカ太平洋艦隊を壊滅させた。アメリカ国民は当然アタマに来て、第二次世界大戦に踏み込んだ。2年前からのイザコザの後、この「屈辱の1日」がこの戦争のターニング・ポイントになった。ここからアメリカの国際世界と世界安定への介入が始まり、それが今日まで続いているのや。

運命のネジレと言うか、この攻撃の計画者である日本海軍提督は、政府に対し、アメリカとは戦うべきではないと、執拗に警告していたのだ。これに従っていれば、20世紀の歴史は大きく違っていた筈や。

ヤマモト提督は、見通していた、この攻撃は日本の勝利など覚束ない長引く消耗戦争となるだろうと。1年かそこらは、と彼は言った、地域的に弱体な連合軍を抑えられるだろう、しかしその後は、経済的に行き詰まり、密集した木と紙の日本都市は壊滅的な空襲に苦しめられるだろうと。

こうした日米格差に対し、ヤマモトは「普通の戦略では勝ち目は無い」と見た。だから、彼の真珠湾作戦は「絶望の中」で生まれたもの、イチかバチかの賭けだった。「戦争の運命を初日にキメるためのベスト選択」だった。

第二次世界大戦中も戦後も、アメリカ人はヤマモトをズルイ悪党と軽蔑した。1941年12月22日のタイム誌は、ヤマモトを、悪意ある、ギョロ目の、陰欝な黄色い顔色のオトコとしてマンガにしている。見出しは「侵略日本人」。「ホワイトハウスに乗り込んで講和条約を結ばせる」と大言壮語したと。

ヤマモトは、そんなコトを言う人物ではなかった。この引用のモトとなった手紙の中でヤマモトが述べていたのは正反対だった。日本がアメリカを征服するなど思いも及ばぬ、と書かれていたのや。

実際には、ヤマモトは、非常にカリスマ的な人物で、彼の世代の中では、視野の広い海軍将官だった。日露戦争最中の1904年に日本海軍兵学校を卒業、21才の少尉として、歴史的に有名なツシマの海戦に参加した。一方的な日本の勝利は世界に衝撃を与え、ニコラスⅡ世から講和条約の申し出を得る。

海軍での経歴中、ヤマモトはアメリカ、ヨーロッパを広く歩き回り、書籍、新聞を読むに充分な英語力を身に付け、会話もなんとかコナした。リンカーンの伝記を何冊も読んで、貧乏に生まれても「ニンゲンの自由」のチャンピオンになった大統領を尊敬していた。

1926年~28年、ヤマモトはワシントン日本大使館の海軍随行員を務めた。この期間中も、安給料にも拘らず、安いホテルを探し、食事を詰めて、単身、アメリカ各地を旅行して回り、アメリカの機械工業の発展力を実感した。「デトロイトの自動車工場を見るにつけ、テキサスの油田を見るにつけ、アメリカとのチカラ較べで日本の国力が大きく立ち遅れていることを知った」と後に述べている。

ヤマモトはサケを飲まなかった。その代わり、オンナとギャンブルに打ち込んだ。将棋、ポーカー、ブリッジに強かった。東京では、新橋芸者との夜を楽しんだ。

制服で旗艦のデッキや、天皇陛下の前に立つ時は、真摯な面持ちが絵になった。しかし他の場所では、センチメンタルな面も見せ、部下の死に涙を流し、好きな芸者への手紙に、心情を打ち明けたりもした。

1930年代の政治的動乱期、ヤマモトは海軍の「条約派」のリーダーだった。人気の無い軍縮条約を支持したのや。彼は超国家主義右翼の好戦言辞を批判、彼等が目的のためには革命的暴力や暗殺を辞さない態度に反対した。平民大臣を抑圧して、満州や中国の一部に軍事侵略を目指す陸軍とそのリーダー連を嫌った。

1936年~39年、海軍次官となったヤマモトは、ナチス・ドイツとの同盟にイノチを張って反対した。右翼熱狂者は、彼を「アメリカと英国の手先」と非難、暗殺を狙った。彼の首に賞金が賭けられ、「天誅を下す」という警告文が送られ、当局はヤマモトが通過する橋を爆破する計画を事前に発見したりした。

1939年8月、ヤマモトは、日本海軍連合艦隊の最高司令官に任命された。(これで彼は政敵の手の届かない位置に登り、暗殺の危険からは脱した)広島湾に繋留された旗艦長門の上から、ヤマモトはナチスとの同盟に警告し続けた。彼は政府に、日本が輸入している石油と鉄鋼の4/5は、連合国側に支配されている地域からのものであることを考えろと忠告したのや。紛争を起こすなんて無鉄砲極まる。「今のところ、アメリカとの戦争に勝つチャンスは無い」と。

しかし、混乱分裂した日本政府は、戦略的モンダイに直面することは拒みつつ、戦争に向かって流されて行った。1940年、ベルリンで、ドイツとイタリアとの3国同盟にサインした。ヤマモトが心配した通り、アメリカ政府は直ちに石油その他重要物資の輸出を規制、終には禁止した。この制裁はトコトン日本を追い詰めた。日本国内には石油産出など無く、ストックもギリギリ1年分だった。

コト此処に至って、ヤマモトは日本に戦争を避けさせる方法を失ったと自覚し、戦争計画に携わるしかなくなった。

1940年、F・D・ルーズベルト大統領は、艦隊に真珠湾移動を命じた。アメリカ艦隊を日本を叩く距離に置く、というシグナルだった。しかしヤマモトは、これを「逆」に捉えた。「これは日本もアメリカ艦隊を叩ける距離に在る、ということだ。日本を威嚇しようとして、アメリカは自分を攻撃され易い位置に置いてしまったんちゃうか」ここで、ハワイのアメリカ海軍本拠地に艦載機の急襲を掛ける計画が生まれたのや。

海軍参謀総長ナガノ提督は、この急襲計画に頑強に反対した。周囲の参謀たちは、日本の艦載機が壊滅的な反撃に曝されることを怖れたのだ。ヤマモトは反論した。アメリカ艦隊は、「日本の心臓に突き付けられた短剣だ」。急襲はアメリカをショックと絶望で後退させると推量出来る。そして最後にヤマモトは、この作戦計画が了承されないのなら、辞任すると威嚇したのや。ナガノ提督は折れた。「充分な自信があるのなら、ヤマモトに任せるのが良かろう」と。

ヤマモトは、この皮肉な運命をどう思ったか:イノチ賭けてアメリカとの戦争を阻止しようとした。その自分が、今は攻撃の立案者だ。「オレはなんてヘンな位置に居るのか。これも運命なのか?」と友人に手紙を書いている。開戦の前の週になっても、ヤマモトは、より賢い方法はアメリカと戦争などしないコトだと言い続けた。「成功のチャンスの殆ど無い戦争を始めるべきではない」彼はナガノ提督に語っている。ヤマモトは3国同盟の破棄と、日本軍の中国からの撤退を進言した。最後には、天皇が戦争反対の「聖断」を下されることを望んだが、天皇は沈黙を続けた。

1941年12月7日、ノッケの30分の戦闘で、アメリカ太平洋艦隊の戦艦8隻が全部ノックアウトされた。太平洋舞台のアメリカ軍用機の2/3に当たる180機が、飛び立つ余裕もなく、破壊された。

日本人は狂気乱舞、ヤマモトは神格化された。東京の海軍将官たちに指令する立場を得て、それは1943年4月、南太平洋で、アメリカ戦闘機が彼の搭乗機を撃ち落とすまで続いた。さよ、真珠湾の成功を除けば、ヤマモトは偉大な提督とは言えないだろう。彼の数々の戦略失敗はヒドイもので、自分の部下からも批判された。実際、戦略面から言えば、真珠湾は、壮大な歴史的計算チガイだったのや。

真珠湾攻撃は、アメリカ国民を容赦の無い全面戦争に向かわせ、それは日本降伏まで続いた。ヤマモトは、ミッドウェイ海戦の日本大敗退、4ケ月に及ぶガダルカナル島奪回にコダワって出血を増やした当の責任者でもある。

しかし多分、ヤマモトの遺産の最重要部分は、海軍での経歴ではなく、戦前日本の騒がしい政治状況の中で、アメリカ相手の戦争は日本の壊滅を招く、と言う真実を語る勇気を備えた数少ない世代リーダーの一人だったことやろ。1945年以降、灰燼に帰した日本で、日本人は、戦争へ滑り落ちることを阻止しようとした彼の努力を想い起こしたにチガイない。あるイミでは、日本の敗戦がヤマモトの真実を描きだしたとも言えるのや。

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ウム。忌憚なくヤマモトの実像を描いたコラムやんけ。ワメとしても、知ってるようで知らなかったヤマモトの足跡を教えられた。まこと70年は一炊の夢やねん。

「催涙ガスを食らい、拘束されましてん」2011/12/17 16:49

えー、流石のクリストフ君も、紛争現場のトバッチリに遭うことがある。バーレインからのレポート。

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「へラ鳥ウォッチング」

「GETTING GASSED AND DETAINED」(12/16)

「催涙ガスを食らい、拘束されましてん」

ニコラス・D・クリストフ

(バーレイン:マナマ発)

警察車両に引きずり込まれた時、催涙ガスの霧の彼方に警察国家の徴候をチラリと見ましてん。

アメリカの同盟国であるバーレインの王族ファミリーが、ペルシャ湾の不毛な島を、近代的な銀行センターへと転換したことは称賛に値する。彼等はバーレイン国民に教育を施して、英語を話す大きな中流階級を作り上げた。女性にも権限を与え、穏健派を育て、事実、アメリカ大使はバーレインの小さなユダヤ共同社会からの女性大使なのや。

しかし、アメリカの友なのに、此処には冷酷な独裁一家が居てはる。バーレインほど、「アラブの春」を決定的に押し潰した国は無い。この政府はその暗い面を2、3日前に見せつけた。治安警察がオレと一緒に居たヴィディオ・ジャーナリストを襲い、オレもろとも拘留したのや。オレたちは名札を付けて、バーレインの村々で毎晩で起こっている小規模のプロテストと衝突を観察して居たのや。そのパターンはみな同じ。小さな一団が叫び始める「ハマド王をブっ潰せ」と。そして道路をクネリ始める。するとオトコもオンナも家から走り出て来てそれに参加するのだ。

ヒトツの衝突は、ワカモノが石や火炎瓶を警察目掛けて投げ付けたのをキッカケに起こった。(プロテスターはこうした行為で自らの大義を掘り崩してしまうのや)その夜遅く、他の村で、別の行進グループは、警察に向かって両手を上げ、武器など持っていないことを示した。しかし一人のワカモノが警官達に向かって石を投げた。すると警官は直ちに催涙ガス弾をコッチに向かって投げ付けて来た。オレは逃げた。

オレと一緒に居たNYタイムズのヴィディオ・ジャーナリスト、アダム・B・エリックはこの情景を撮るため立って居た。すると警官が走り寄って来た。エリックは、オレはアメリカのジャーナリストだぞ、と叫んだのだが、警官は手荒く向かって来て、棍棒でカメラを叩き、カメラは一部が壊れた。西側のカメラマンに対してこうなのだから、石を投げたワカモノを捕まえたら、こんなことでは済まない。

警官はエリックを警察車の中に引きずり込んだ。彼はオレにケイタイ電話して来た。オレは催涙弾にヨロメキながら、彼を救出しようとしたがダメだった。警官はオレまで拘留しやがった。オレを別の警察車の中に押し込めたが、扱い方は丁寧だった。この拘留は、彼等の「思い込み」から生じたもので、それはプロテスター連中は、カネで雇われたイランの手先だという妄想から生じた憎しみがなせるワザだったのや。

30分後、上級警察官が到着、チョイトした質問をした上で、ワレワレを釈放した。その数時間後、古典的なバーレイン流プロパガンダが出た。政府は、ワレワレは拘留されたのではなく、ワレワレが「警察に保護を求めた」と発表したのや。あまりにもミエミエのウソやんか。新しい芽を出そうとしているバーレインの信頼を揺るがすものだ。公平に言えば、ハマド王はホンキで和解の意志を見せていた。彼は拷問や虐待について外部に報道を依頼していた。彼は拷問は裁判に掛けると誓った。そしてジャーナリストへのヴィザを再発行した。

しかし、基本的な力学は変わっていない。ヒトツの家族が依然として国全体を支配しているのや。重要な地位はほとんどスンニ派の王族メンバーが占めている。多数を占めるシーア派はセカンド・クラスの市民で、まるでアパルトヘイト、重要役職からは外されて居るのや。改革の動きは有るはずだが、政府の宥和政策はオレから見ると、ほとんどPRの練習みたいなものや。もし政権が改革にホンキなら、その第一歩は、首相、スルマン・カリファを更迭するっきゃない。この男、40年間もこの国の首相を務めているのやで。

いろんなカタチで、抑圧は続いている。今回のバーレイン訪問に、オレは整形外科の名手アリ・アルクリ博士と連絡取った。この2月、オレと会った時、彼は、治安警察に殴られ意識不明に陥ったイトコの介護をしていた。アルクリ博士は重複政治犯として、15年の入獄刑を宣告されていた。警察の取締の際の多くの死者や負傷者について、彼が外部に報告したことへの罰として。

3月に、警察は病院に乱入して手術中の彼を引きずり出したのや。警察はひと月間、彼を拷問し続けた。彼の言によれば、政府に対する策謀を自白させるため、警察は2度も、彼をレイプしようとしたと言う。拷問で彼は肋骨を折られ、鼓膜を破裂させられたのや。

もしこの抑圧がイランやシリアで起こったのならば、ホワイトハウスが憤激した筈だ。アメリカの同盟国であるバーレインで、こんなことが起こっていることを大声で告げるのは、オレたちアメリカ市民の役目やろが。

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ウム。まァクリストフ君としてはオドロクほどの事態ではなかんべさ。モンダイは2ツ。ヒトツは、アメリカ同盟国をカサに「アラブの春」を踏み躙る40年在籍の首相の存在。もヒトツは「オレたちゃアメリカのジャーナリストだぞ」という印篭のキキメがソロソロ消えつつあること。アメリカが世界の支配者と言うイメージは、既に油マミレやんか。

「オレがヤラれたのもアメリカ製催涙弾や」2011/12/20 16:37

えー、クリ君、バーレインからのレポート、続く。アメリカ政府への詰問やねん。

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「ヘラ鳥ウォッチング」

「REPRESSION, MADE IN AMERICA」(12/19)

「オレがヤラれたのもアメリカ製催涙弾や」

ニコラス・D・クリストフ

(バーレイン・シトラ発)

オバマ大統領は間もなく、アメリカの親密な、しかし独裁的同盟国バーレインへの5300万ドルの武器輸出を承認するかどうかキメる筈や。此処には、イランへの手頃な砦として重要なアメリカ海軍基地がある。この事実をオバマは熟考するやろ。しかし彼は此処での暴力的抑圧も考え合わせねばよ。さよ、14才の少年、アリ・アル-シェイクが殺され、その家族への暴圧は今も続いているのやで。

アリ少年は、バーレインのキラキラ高層銀行群から離れた、貧乏村の集まったシトラで育った。シトラでは毎日のように、デモクラシー要求のプロテストが渦巻いている。非暴力的プロテストなのに、彼等は「アメリカ製」の催涙ガスで押し潰されているのだよ。

当地の人々はアメリカに好意を抱いて居り、オレを家庭の中に迎え入れて呉れる。でも、毎朝、彼等が道路から片付ける催涙弾の破片が、アメリカ、ペンシルヴァニアの企業、「安全技術社」(NONLETHAL TECHNOLOGIES)の製品であることに怒りを抱いているのやで。この民間企業はコメントを拒否しているが、アメリカ政府は、この企業の武器輸出に許可を与えている。

この8月、アリ少年はプロテストに参加した。一人の警官が15フィートも無い近距離からアリに向かって催涙ガス弾を発射したのだ。これは家族や人権団体が確認している。催涙弾は少年のクビの背後を直撃、即死した。彼の家から2、3分の場所だった。政府は、少年の打撲傷は催涙弾の打撃とは「カンケイナイ」と主張。オレはバーレイン当局のウソをイヤになるほど知っているので、この主張は認めない。アリの父親、ジャワドのハナシでは、当局は彼に、アリは警官に殺されたのではない、という書類にサインを迫った。

バーレインのハマド王自身は、こうした殺戮や拷問からは離れた位置に在り、バーレインの改革を誓っている。確かに改善のキザシは見える。王族の一人、サカー・アリ-カリファはオレに、改善は進むだろうと語った。しかし、そうしたコトバとはウラハラに、警察はアリ少年の家族を抑圧し続けている。なにしろ治安警察は少年の葬儀にまで催涙ガスを発射したと言うのだ。最近、警察は父親ジャワドを呼び出して査問した。彼は勤め先である電気省(ELECTRICITY MINISTRY)からクビを切られるのではと心配しているのや。

周辺での小競り合いは毎日のように起こっている。「ヤメロ、ヤメロ、ハマド」と声を合わせただけで、警察は催涙ガス弾を撃って来る。その目標はアリ少年の家で、入り口の扉を抜けて家の中に撃ち込まれたことさえあると言う。2、3週間前のこと、治安警察はアリ少年の家に侵入し、壁の少年の写真を引き裂いた、と母親、マリアムは言う。「彼等は上役を怖れているの。だからアタシたちを威嚇するのよ」家の傍の空き地にアリの墓があり、写真と弔問者の花が飾られている。周囲がアリ少年を「殉教者」と呼ぶことに苛立った警察は、写真を破り、花を投げ捨てたのや。壊されることを怖れて家族は未だ墓石を購入していない。

こうした抑圧は至るところに見られる。28才のザイナブ・アル-カワジャの場合、デモクラシー要求の活動した夫と父親が投獄され、拷問受けている。警察は夫の舌を切断すると脅していると言う。警察は父親に、娘はサウディ・アラビアに送られ、レイプされ拷問される予定だとウソを話して父親のココロを踏み躙ったと言う。彼女は危険を冒して、こうしたハナシをオレにした後、拘留されたのや。

カワジャはウイルコンシンで学位を取っている。彼女はガンジーと、いかに非暴力プロテストで独裁者を転覆させるかを書いているアメリカの学者、ジーン・シャープの著書を深く読み込んでいる。彼女は平和的プロテストで道路に座り込んでいるところを警察に勾引された。催涙ガス弾を浴びせられ、手錠を掛けられて、殴られながら連れ去られた。バーレイン人権センターによれば、彼女は警察でさらに殴られたと言う。
しかし彼女は鉄のようにタフなのや。一緒にデモ行進している時、催涙ガスで、オレがゴホンゴホンと咳込み、目ショボになっているのに、彼女はへイチャラな顔していた。しかし、彼女は2才の娘、ジュードを気遣っていた。そして多量の催涙ガスが発射されたために赤ん坊が死んだ家族への訪問からクルマでの帰り道、カワジャは叫び始めた。「アタシはどうしたらイイの。全部アタシに向かって来るわ」

政府が彼女を投獄して黙らせている今、オレは彼女に最後のコトバを送ろうと思う。彼女の拘留の2、3日前、オレは彼女に、アメリカのバーレインへの武器売却について訊ねたのや。「とにかく、ヤツラに武器を売らないで欲しい」と彼女は抗弁した。「デモクラシーを求めている人たちを抑圧する独裁者に武器を売れば、オバマはアメリカの評判を破滅させることになるわ。全部の人々をテキに回すのは、アメリカの利益にならないでしょうに」

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ウム。このレポートは、オバマの、というかアメリカの矛盾した立場に、ハッキリした選択を迫るものやんか。このチッポケな島国(今は橋でサウディとツナガっているが)が、金融センターとして、同時にアメリカ海軍基地として重要視されていることと、王族一家による独裁的抑圧が、人々のデモクラシー希求を踏み躙っていることがパラレルに存在しているのは、なんともヘンなハナシやねん。
この矛盾はいづれ、ドカンと自壊するに違いない。アメリカの対イランの砦としては、あまりにも兵站線の伸び切った構図ちゃうか?