「暗殺のモラルを考える」2011/05/10 14:45

えー「ジェロニモ」抹殺に関しては、続々異論反論が。1本づつ、ご紹介致す。

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「ヘラ鳥ウォッチング」

「THINKING THROUGH ASSASSINATION」(05/07~08)

「暗殺のモラルを考える」 ジム・レーゼンバーガー

★アメリカ政府の計画殺人は、そのネライが如何なるものであったにせよ、モラルと実践的考察が必要ちゃうか。

月曜日、空襲によってカダフィを除去する計画の直後に伝えられた、オサマ・ビンラディン死亡をめぐる歓喜の中では、アメリカにとって「暗殺」が汚いコトバであった時期を想い出すのは難しいことかも知れない。しかし、それは、そうムカシのことではないのや。暗殺が、ワルイ習慣になる前に、ワレワレは過去をジックリ考証すべきではないか。

政府の手による暗殺に対する怒りのピークは、1970年代中頃、「チャーチ委員会」として知られる上院特別委員会で、60日も掛けて、1950年代後半と1960年代初期のCIAの策謀に関して75人の証人が質問を受けた時だろう。冷戦の暗い日々、CIAは、不快な、あるいは不都合な外国リーダー達に不幸な終わりを与えることに努力を注いでいたのや。

暗殺のターゲットにリストアップされたのは、コンゴのルムンバ、南ヴェトナムのゴ・ディン・ディエム、ドミニカ共和国のトルヒーヨ、そして有名なキューバのカストロ。CIAの暗殺計画を逃れたのは8人に過ぎないのだよ。上院委員会の目的はこうした計画に於ける政府の役割の追及だったのや。

アイゼンハワー、ケネディが、どの辺りまで権力を直接行使したか?委員会の結論はバクゼンとしたものだった。分かったことは、両大統領とも、そんな計画に手を下さなかったであろうこと。

時代は変わった。今やオバマ大統領は、定時放送スケジュールに割り込んで、暗殺のニュースを自ら報告したのやねん。

明らかに、この50年で、暗殺を取り巻く状況は、「進化」したのだよ。例えば、ビンラディンはテロリストで、国家リーダーではなく、西欧ではカストロとは比べものにならないほど悪者扱いされてる。

殺しの方法もまた、大きく変化した。レーザーによるミサイル攻撃と海軍SEALS部隊の活躍は、まるでヴィデイオ・ゲームそのままやんか。それに比べれば50年前の作戦は、B級映画か土曜日の朝の新聞マンガだぜ。

例えば、1961年4月のピグス湾侵攻の寸前、CIAはマフィアを傭って暴徒にによるカストロ攻撃を企てた。しかしマフィアは頼れるパートナーではなく、攻撃は失敗した。CIAは怯むことなく、カストロに毒を塗ったスキューバダイヴィング・スーツを送ったり、麻薬入りの葉巻を吸わせようとしたりした。
CIAに関して言えば、そのトップ連中はエリート校やアイヴィー・リーグ出のインテリで、当時流行りの暗殺は、表立った議論のテーマでは無かったのや。

CIAの一人が、フィデル・カストロだけでなく、弟のラウル・カストロ、チェ・ゲバラの「排除」(ELIMINATION)、つまり暗殺トリプルプレイ計画のメモを出した時、当時のCIA長官ダレスは反対しなかった。ただし彼は「排除」を「移動」(REMOVAL)というソフトな言葉に書き替えたのや。こうした潔癖さは、現代のスタンダードから見れば、なんとも古臭い。「計画殺人」(TARGETEDKILLING)は暗殺の婉曲語法だが、9/11以降、 計画殺人」はCIAやペンタゴンの最重要手法になっている。例のチャーチ委員会以後、1981年にレーガンが署名したものを含め、政府主導によるいくつかの暗殺禁止令が発令されている。1986年、レーガンは、ベルリンのディスコ爆破の報復として、カダフィ暗殺を暗示したリビヤ攻撃を承認しているのや。

アメリカ官公庁員や法律学者の中には、「暗殺」と「計画殺人」の間に明確な線を引いている人々も居る。「暗殺」は殺人の形式であり、「計画殺人」は戦時中、自衛のために採られる方法だと。モンダイは、最終目標が見難い対テロ戦争に於いては、そのチガイがボヤけることだ。

ビンラディンは、モラル的にも実践的にも特殊なケースを提出した。アメリカがその男の死を圧倒的に望んでいた暗殺に対して、反対は先ず考えられない。

しかし、その2日前のカダフィ攻撃はかなりヤヤコシイ。アメリカとNATOは、カダフィをネラったことを否定した。でもそれはインチキやんか。たまたまカダフィの住んでいた家を爆撃した結果になったと、アメリカ情報局は言うが。明らかに空襲はカダフィ殺害に失敗したのや。(ムスコ1人と孫3人を殺したけれど)。カダフィはアメリカに対して直接的な敵意を示してはいない。少なくとも、3月にNATO軍がリビヤに侵攻するまでは。

カストロを麻薬入り葉巻で殺すのが「悪」で、カダフィをスマート爆弾で殺すのが「善」だと言うのは理解出来ないやんか。それぞれが「暗殺」をどう感じるにせよ、ワレワレは政策の方向をハッキリさせる必要がある。

1975年のチャーチ委員会は、特殊な例を除けば、暗殺は「アメリカの基本的なモラルに違反している」としたのや。

モラル云々を別にしても、暗殺は実際的なリスクを伴うと言う委員会の評価を重んじるべきだ。そこには様々な可能性がある。例えば、一人のリーダーの死が、もっと好ましくない別のリーダー登場を促すこともある。殺すことでモンダイが解決するよりも、そのために生まれた混沌や復讐心が、さらなる危険をもたらすこともあるのや。チャーチ委員会のフランク・チャーチ上院議員のコトバ、暗殺は「相互の繰り返し」を広げることになる、をココロに留めるべきやろ。

暗殺を短期の便宜主義とする論議は無い。しかし究極的に、ワレワレが今闘っている戦争は、暴力思想の防止が目的であり、個人殺害が目的ではない筈やんか。オサマ・ビンラディンは、自業自得であり、ワレワレはこれは例外とするべきやねん。世界に、アメリカの採った方法は正義の実現のためであり、冷血な殺人ではないと考えて貰うためには、ワレワレは慎重に対処しなければ。正義の名の下にアメリカが採った殺人は、極めて稀なケースであり、一般的ルールでは無いと。

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ウム。このコラムの筆者は、61年のカストロに対するケネディのキューバ侵攻に関しての詳細な本を書いているヒト。

暗殺の方法が「B級映画」から「ヴィデイオ・ゲーム」に変わったというのは、オモロイやんか。それだけニンゲンが退化したのやねん。ワメの感覚では、万事に慎重で冷静なオバマが、今回、積極的な行動を採ったことに、イササカの、いやカナリの違和感がある。30年の差がある、「バーチャル世界」に染められた今の世代との違和感かも。

9/11直後に、ノーム・チョムスキーが、「テロ国家の親玉アメリカ」に対する別のテロ集団の挑戦だ、アメリカに報復する資格は無い、と書いた。ワメ思うに、「テロ」とは戦争乃至は征圧の「手段」であり、「国家」のウシロダテを持たないビンラディンに対して「テロ戦争」というコトバを使うのはヘンだ。国家と国家が対立しなければ「戦争」は成り立たないんちゃうか?

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_ マスコミに載らない海外記事 - 2011/05/14 00:01

Paul Craig Roberts 2011年5月3日 Information Clearing House アメリカは必ず勝つという勝利主義の匂いがプンプンするプロパガンダ記事で、AP通信の、というよりは、ホワイト・ハウス真実省の、二人の記者とされる連中、アダム・ゴールドマンとクリス・ブラミットは書いている、という