「ビンラディン:個人史的に」 ― 2011/05/04 14:37
「WHO WAS BIN LADEN?」(05/04)
「ビンラディン:個人史的に」 デヴィッド・ブルックス
★時として、歴史は完全にはセツメイの付かない個人的要素に左右される。
ビンラディンの母親は15才で彼を生んだ。家族の中で「奴隷」と呼ばれていた彼女は、程無く見捨てられ、ビンラディン一家の建設企業の中間経営者と結婚させられる。
ビンラディンは、滅多に会わない父親を尊敬し、母親には憧憬を抱いていた。ティーンエージャーの頃、彼は「母親の足元に跪いて抱擁した」と家族の友、スティーヴ・コールは決定的な伝記《ビンラディン:アメリカの世紀の中の或るアラビヤ家族》の中で書いている。
幸か不幸か、ビンラディンは9才で父親を失った。一家の長老も、サウディのアジール地方で、アメリカのパイロットが起こした飛行機事故で死亡。(9/11のハイジャッカーの内5人はこの地方出身者。ビンラディンの兄弟も後にアメリカで飛行機事故で死亡)
オサマは非常にシャイな子供だった。新しい家族の中では、アウトサイダーだったが、金のガチョウでもあった。裕福な家族からの充分な手当てを受けていた。郊外に住み、青いブレザーを着てエリート校に通い、ヨーロッパの教師の教育を受けた。「憤激」というアメリカの演劇に心を奪われた。それは問題抱えた孤児が牧場に逃れて野性の馬を調教するストーリーだった。成績は普通だったが、信仰心は強かった。大学に進んだが続かず、14才の従妹と結婚して家族のビジネスに加わった。
オレが個人的経歴を披露するのは、ワレワレは歴史を深い歴史的圧力によって動かされると思い込み勝ちだからだ。時にはそうかも。しかし時には、説明出来ない、ごく個人的事情で動くのや。
家族の一員として、ビンラディンは信仰以外には、セクス、クルマ、シゴトに興味を持った。彼は写真を撮られるのを嫌った。彼は「セサミ・ストリート」とタバスコを禁じた。裸の女性が部屋に入って来れば、眼を蔽った。ニュースを見るのは好きだったが、子供をテレビの傍に立たせて、音楽が始まると音量を下げさせた。ワカモノとしては、反抗的では無かった。
ソヴィエトがアフガンに侵攻すると、彼は聖戦ツアーを組織した。自分自身が戦うのではなく、添乗員的であり、組織者だった。しかし、ソヴィエトの爆撃から生き延びた後は、自己の神話化を始めたのや。
未だヒドク恥ずかしがり屋だったが、巨きな人格を身に付けて戻って来た。1990年、イラクのクエイト侵攻に対するサウディの反撃に身を投じようと考えた。同時に、家族のビジネスを経営すべきと考えた。そのドッチからも阻まれた時、過激主義が募ったのや。
ワレワレは、テロリストのリーダーは荒っぽく脅迫的だと考える。ビンラデインは穏やかでソフトで、握手もやさしかった。ワレワレは、テロリストは、細胞を作り、それを組織すると考える。しかしビンラディンは反・組織者で、中央集中の無いトップダウン支配のネットワークを創り上げたのや。リクルートは人種やセクトや国籍にコダワラなかった。
ワレワレは、戦士は、所有権や権力を獲るために暴力を行使すると考える。しかしビンラディンは、殺人をブランド経営の一部と見ていたようだ。それは資金集めネットワークを活性化し、ニュースを支配し、そのイミを操作するのに役立った。
つまり、オサマ・ビンラディンは、シンボルとイミのポストモダン世界と、憤激と屈辱による残酷な殺人世界、双方の中の住人だったように見える。鋭敏な批評家でも、こんな変わった前近代的で後期全世界的な人物を予期出来なかったし、ましてや、その人物がこんな大きな力を持つようになるとは考えなかった。
オレはただ、尊厳と自由を望む全アラブのドマン中に、民主的なビンラディンが居て、その他に、悪のためではなく善のために、物語を作り行動を起こす人物が居たらよかったのにと思うだけだ。
しかし、そうは行かなかった。個人の事情が絡むと悲劇になるのやねん。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ウム。万事に保守派のブルックスとしては、ビンラディン個人史に感情移入して、一連の世界動乱のタネを探った出色のコラムやんけ。
10年前の9/11当時、ワメはTVのビンラディンの相貌の中に、チェ・ゲバラ風戦闘的革命者というよりも、キリストに似た、受難者風悲哀を感じていた。9/11被害者家族の思い入れとはチョット外れた位置で、復讐の成功に湧く一般アメリカ群衆は、巨きな世界史の外のタダの野次馬に見えて来るやんか。
「ビンラディン:個人史的に」 デヴィッド・ブルックス
★時として、歴史は完全にはセツメイの付かない個人的要素に左右される。
ビンラディンの母親は15才で彼を生んだ。家族の中で「奴隷」と呼ばれていた彼女は、程無く見捨てられ、ビンラディン一家の建設企業の中間経営者と結婚させられる。
ビンラディンは、滅多に会わない父親を尊敬し、母親には憧憬を抱いていた。ティーンエージャーの頃、彼は「母親の足元に跪いて抱擁した」と家族の友、スティーヴ・コールは決定的な伝記《ビンラディン:アメリカの世紀の中の或るアラビヤ家族》の中で書いている。
幸か不幸か、ビンラディンは9才で父親を失った。一家の長老も、サウディのアジール地方で、アメリカのパイロットが起こした飛行機事故で死亡。(9/11のハイジャッカーの内5人はこの地方出身者。ビンラディンの兄弟も後にアメリカで飛行機事故で死亡)
オサマは非常にシャイな子供だった。新しい家族の中では、アウトサイダーだったが、金のガチョウでもあった。裕福な家族からの充分な手当てを受けていた。郊外に住み、青いブレザーを着てエリート校に通い、ヨーロッパの教師の教育を受けた。「憤激」というアメリカの演劇に心を奪われた。それは問題抱えた孤児が牧場に逃れて野性の馬を調教するストーリーだった。成績は普通だったが、信仰心は強かった。大学に進んだが続かず、14才の従妹と結婚して家族のビジネスに加わった。
オレが個人的経歴を披露するのは、ワレワレは歴史を深い歴史的圧力によって動かされると思い込み勝ちだからだ。時にはそうかも。しかし時には、説明出来ない、ごく個人的事情で動くのや。
家族の一員として、ビンラディンは信仰以外には、セクス、クルマ、シゴトに興味を持った。彼は写真を撮られるのを嫌った。彼は「セサミ・ストリート」とタバスコを禁じた。裸の女性が部屋に入って来れば、眼を蔽った。ニュースを見るのは好きだったが、子供をテレビの傍に立たせて、音楽が始まると音量を下げさせた。ワカモノとしては、反抗的では無かった。
ソヴィエトがアフガンに侵攻すると、彼は聖戦ツアーを組織した。自分自身が戦うのではなく、添乗員的であり、組織者だった。しかし、ソヴィエトの爆撃から生き延びた後は、自己の神話化を始めたのや。
未だヒドク恥ずかしがり屋だったが、巨きな人格を身に付けて戻って来た。1990年、イラクのクエイト侵攻に対するサウディの反撃に身を投じようと考えた。同時に、家族のビジネスを経営すべきと考えた。そのドッチからも阻まれた時、過激主義が募ったのや。
ワレワレは、テロリストのリーダーは荒っぽく脅迫的だと考える。ビンラデインは穏やかでソフトで、握手もやさしかった。ワレワレは、テロリストは、細胞を作り、それを組織すると考える。しかしビンラディンは反・組織者で、中央集中の無いトップダウン支配のネットワークを創り上げたのや。リクルートは人種やセクトや国籍にコダワラなかった。
ワレワレは、戦士は、所有権や権力を獲るために暴力を行使すると考える。しかしビンラディンは、殺人をブランド経営の一部と見ていたようだ。それは資金集めネットワークを活性化し、ニュースを支配し、そのイミを操作するのに役立った。
つまり、オサマ・ビンラディンは、シンボルとイミのポストモダン世界と、憤激と屈辱による残酷な殺人世界、双方の中の住人だったように見える。鋭敏な批評家でも、こんな変わった前近代的で後期全世界的な人物を予期出来なかったし、ましてや、その人物がこんな大きな力を持つようになるとは考えなかった。
オレはただ、尊厳と自由を望む全アラブのドマン中に、民主的なビンラディンが居て、その他に、悪のためではなく善のために、物語を作り行動を起こす人物が居たらよかったのにと思うだけだ。
しかし、そうは行かなかった。個人の事情が絡むと悲劇になるのやねん。
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ウム。万事に保守派のブルックスとしては、ビンラディン個人史に感情移入して、一連の世界動乱のタネを探った出色のコラムやんけ。
10年前の9/11当時、ワメはTVのビンラディンの相貌の中に、チェ・ゲバラ風戦闘的革命者というよりも、キリストに似た、受難者風悲哀を感じていた。9/11被害者家族の思い入れとはチョット外れた位置で、復讐の成功に湧く一般アメリカ群衆は、巨きな世界史の外のタダの野次馬に見えて来るやんか。
「中国の大矛盾」 ― 2011/05/04 14:39
えー、クリストフ君、上海からの中国観察レポート、お伝え致す。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ヘラ鳥ウォッチング」
「CHINESE CONTRADICTIONS」(05/02)
「中国の大矛盾」 ニコラス・D・クリストフ
(上海・発)
多分ミナサンご存じない事実をヒトツ。今日の上海人の平均寿命はアメリカ人より高いのや。上海の子供たちの平均余命は82才。アメリカは79才。(中国の場合、地方を含めた全国では73才、確実に上昇してはいるが)
このところ、激しい抑圧ばかり話題になる中国だが、健康上のデータは、複雑で矛盾に満ちたこの国の、別の面を反映している
25年前、上海は荒れ果てた都市で、下水設備も整っていない家庭の糞尿を百姓が汲み取って居た。でも、嬰児の死亡率は1000人に2.9人。当時のNYの死亡率5.3を下回っていたのや。(より公平に、上海の移民労働者を勘定に入れれば、NYよりちょいと高めになったかも)
上海の子供たちは公立小学校で世界最上クラスの教育を受けている。最近の65ケ国の調査でもベストの学校システムとの評価。カンニングの横行、創造性の抑圧など、独特のモンダイはあるにしても。
1990年以降、中国は幼児死亡率を54%減らした。中国風のモノサシで測れば、毎年36万人以上のイノチが救われていることになる。
こういったことが、中国をフシギな矛盾だらけの場所にしているのやねん。他の国は、エジプトから北朝鮮まで、政府が国民を圧迫し、貧窮に陥れている。しかし中国共産党は、改革に当たって、政治的には圧迫的(この20年間ずーっとそうで、特にこのところそれが悪化してる)だが、その一方で国民を大いに裕福にしているのや。
胡首席以下、党のトップリーダーたちは、独裁専制だ。でも異常に能力のある独裁者連なのだ。選挙結果は中国国民が、国際的水準から見て自分たちの分け前に満足していることを示している、一体、一党選挙にどう言うイミがあるのか、という疑問はあるが。しかしオレの見るところでは、もし共産党が複数党自由選挙を施行しても、共産党は地滑り的大勝を収めるだろう、特に地方選挙では。
あるハーヴァードの学者がオレに言ったことがある。今日の中国は、そのどっちつかずのアイマイさ(AMBIVALENCE)で旨くやって来たのだと。オレもその通りだと思う。オレが前回のコラムで批判したように、政治的抑圧は事実や。役人の汚職もヒドイ。少数の反体制者を刑務所にブチ込んだ政府が、一方では何億の国民に新しいチャンスを与えている。ノーベル平和賞受賞の反体制作家、劉暁波を刑務所にブチ込む一方で、何万の幼児のイノチを医療保険改革で救うってのは、どーゆーコトや?統合性無いやんか。中国の両面は釣り合いが取れてない。これが21世紀中国の「陰陽」(YIN AND YAN)やんけ。
アメリカは中国をマニ教レンズを通して見る傾向がある。貧窮を圧倒する絶対的経済と代替エネルギーへの投資、一方で反体制者への拷問、そのドッチがホントなのか。実際は、ドッチも等しく現実なのや。同じように、中国は通商協定を乱用する。アメリカの信用を超えて、自国通貨を高評価する。
ワレワレは米・中の緊張関係上昇の時期に入っている。2012年のアメリカ大統領選挙、中国の権力者交替に煽られて。
オレが中国に暮らしていた1980、90年代、オレと中国の友人の間には、いつもギゴチナイ経済的アンバランスがあった。オレはクルマで彼らは自転車だった。一緒に食事すればオレが勘定払った、暮らし向きがズっと良かったからや。
今や、別のアンバランスが生まれている。中国人の友達は運転手付きのリムジンを乗り回し、オレはタクシーで走り回る。オレを流行のレストランに連れて行ってくれるが、その値段たるやアタマが痛くなるほどだ。家庭に招待されれば、其処には室内バスケットボール場があり、プライヴェート映画劇場まである。ムネの悪くなるほどの生活水準改革やねん。けれど其処には、清潔な水も供給されない3億2000万人の地方住民との収入格差がデンと存在してる。
さらに、この経済ブームは、不動産バブルのセイと思われる。政府役人の汚職とリンクするベラボーな富がある。オレの友達の一人は政治局メンバーのムスコだが、とある企業の重役に名を列ねるだけで、年何十万ドルの支払いを受けていると言う。こうした方法で、企業は地方政府から土地を安く手に入れるのや。
こうした国をどーすりゃイイのさ?モンダイ山積や。米・中緊張関係が増す中、単純に黒白の判断を下す事は、正しいかも知れないが、不完全でマチガイかも知れないのやで。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ウム。中国に友人の多いクリストフ君のレポートには説得力あるやんか。中国は歴史的に、象のアチコチを手探りで撫でるに似た「アンビヴァレンス」の巨大国なのや。
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「ヘラ鳥ウォッチング」
「CHINESE CONTRADICTIONS」(05/02)
「中国の大矛盾」 ニコラス・D・クリストフ
(上海・発)
多分ミナサンご存じない事実をヒトツ。今日の上海人の平均寿命はアメリカ人より高いのや。上海の子供たちの平均余命は82才。アメリカは79才。(中国の場合、地方を含めた全国では73才、確実に上昇してはいるが)
このところ、激しい抑圧ばかり話題になる中国だが、健康上のデータは、複雑で矛盾に満ちたこの国の、別の面を反映している
25年前、上海は荒れ果てた都市で、下水設備も整っていない家庭の糞尿を百姓が汲み取って居た。でも、嬰児の死亡率は1000人に2.9人。当時のNYの死亡率5.3を下回っていたのや。(より公平に、上海の移民労働者を勘定に入れれば、NYよりちょいと高めになったかも)
上海の子供たちは公立小学校で世界最上クラスの教育を受けている。最近の65ケ国の調査でもベストの学校システムとの評価。カンニングの横行、創造性の抑圧など、独特のモンダイはあるにしても。
1990年以降、中国は幼児死亡率を54%減らした。中国風のモノサシで測れば、毎年36万人以上のイノチが救われていることになる。
こういったことが、中国をフシギな矛盾だらけの場所にしているのやねん。他の国は、エジプトから北朝鮮まで、政府が国民を圧迫し、貧窮に陥れている。しかし中国共産党は、改革に当たって、政治的には圧迫的(この20年間ずーっとそうで、特にこのところそれが悪化してる)だが、その一方で国民を大いに裕福にしているのや。
胡首席以下、党のトップリーダーたちは、独裁専制だ。でも異常に能力のある独裁者連なのだ。選挙結果は中国国民が、国際的水準から見て自分たちの分け前に満足していることを示している、一体、一党選挙にどう言うイミがあるのか、という疑問はあるが。しかしオレの見るところでは、もし共産党が複数党自由選挙を施行しても、共産党は地滑り的大勝を収めるだろう、特に地方選挙では。
あるハーヴァードの学者がオレに言ったことがある。今日の中国は、そのどっちつかずのアイマイさ(AMBIVALENCE)で旨くやって来たのだと。オレもその通りだと思う。オレが前回のコラムで批判したように、政治的抑圧は事実や。役人の汚職もヒドイ。少数の反体制者を刑務所にブチ込んだ政府が、一方では何億の国民に新しいチャンスを与えている。ノーベル平和賞受賞の反体制作家、劉暁波を刑務所にブチ込む一方で、何万の幼児のイノチを医療保険改革で救うってのは、どーゆーコトや?統合性無いやんか。中国の両面は釣り合いが取れてない。これが21世紀中国の「陰陽」(YIN AND YAN)やんけ。
アメリカは中国をマニ教レンズを通して見る傾向がある。貧窮を圧倒する絶対的経済と代替エネルギーへの投資、一方で反体制者への拷問、そのドッチがホントなのか。実際は、ドッチも等しく現実なのや。同じように、中国は通商協定を乱用する。アメリカの信用を超えて、自国通貨を高評価する。
ワレワレは米・中の緊張関係上昇の時期に入っている。2012年のアメリカ大統領選挙、中国の権力者交替に煽られて。
オレが中国に暮らしていた1980、90年代、オレと中国の友人の間には、いつもギゴチナイ経済的アンバランスがあった。オレはクルマで彼らは自転車だった。一緒に食事すればオレが勘定払った、暮らし向きがズっと良かったからや。
今や、別のアンバランスが生まれている。中国人の友達は運転手付きのリムジンを乗り回し、オレはタクシーで走り回る。オレを流行のレストランに連れて行ってくれるが、その値段たるやアタマが痛くなるほどだ。家庭に招待されれば、其処には室内バスケットボール場があり、プライヴェート映画劇場まである。ムネの悪くなるほどの生活水準改革やねん。けれど其処には、清潔な水も供給されない3億2000万人の地方住民との収入格差がデンと存在してる。
さらに、この経済ブームは、不動産バブルのセイと思われる。政府役人の汚職とリンクするベラボーな富がある。オレの友達の一人は政治局メンバーのムスコだが、とある企業の重役に名を列ねるだけで、年何十万ドルの支払いを受けていると言う。こうした方法で、企業は地方政府から土地を安く手に入れるのや。
こうした国をどーすりゃイイのさ?モンダイ山積や。米・中緊張関係が増す中、単純に黒白の判断を下す事は、正しいかも知れないが、不完全でマチガイかも知れないのやで。
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ウム。中国に友人の多いクリストフ君のレポートには説得力あるやんか。中国は歴史的に、象のアチコチを手探りで撫でるに似た「アンビヴァレンス」の巨大国なのや。
「中国輸出力の弱点:陸上輸送」 ― 2011/05/04 14:39
えー、モーレツ経済発展の中国にも、思わぬところにアキレス腱。それは製品を輸出港に運ぶまでのクルマと道路んモンダイ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ヘラ鳥ウォッチング」
「KINK IN CHINA'S EXPORT CHAIN:TRUCKING」(04/30)
「中国輸出力の弱点:陸上輸送」 デヴィッド・バルボーザ
ここ何年も、中国のオッソロシイ輸出力は、高能率の工場、低賃金労働力、そして膨大量の玩具、繊維製品、電子製品などを運べるコンテナ船団に支えられて世界の隅々まで届いて居た。
しかし、その一連のリンクの中に、オドロクべき弱点が出て来た。製品を工場から巨大輸出港まで、普通なら2時間足らずの運送のモンダイ。これが非組織的、非効率的、そしてコスト高と来ているのだよ。
運送業の弱体は、最近の運転手たちによる抗議に表れている。この4月、珍しいほ大きな公衆的怒りが表面化した。2000人のトラック・ドライヴァーが上海でストライキに入った。燃料コストの高騰と、不公平な政府の運送税に対する不満の爆発やねん。抗議者の中には石を投げる者、警察のクルマをひっくり返す者、ストライキ参加を拒んだドライヴァーのクルマの窓を叩き割るなど。
上海市警察は、3日間続いたストライキを、抗議者の逮捕、ストライキ組織者への威嚇などで、最終的には鎮圧した。
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「ヘラ鳥ウォッチング」
「KINK IN CHINA'S EXPORT CHAIN:TRUCKING」(04/30)
「中国輸出力の弱点:陸上輸送」 デヴィッド・バルボーザ
ここ何年も、中国のオッソロシイ輸出力は、高能率の工場、低賃金労働力、そして膨大量の玩具、繊維製品、電子製品などを運べるコンテナ船団に支えられて世界の隅々まで届いて居た。
しかし、その一連のリンクの中に、オドロクべき弱点が出て来た。製品を工場から巨大輸出港まで、普通なら2時間足らずの運送のモンダイ。これが非組織的、非効率的、そしてコスト高と来ているのだよ。
運送業の弱体は、最近の運転手たちによる抗議に表れている。この4月、珍しいほ大きな公衆的怒りが表面化した。2000人のトラック・ドライヴァーが上海でストライキに入った。燃料コストの高騰と、不公平な政府の運送税に対する不満の爆発やねん。抗議者の中には石を投げる者、警察のクルマをひっくり返す者、ストライキ参加を拒んだドライヴァーのクルマの窓を叩き割るなど。
上海市警察は、3日間続いたストライキを、抗議者の逮捕、ストライキ組織者への威嚇などで、最終的には鎮圧した。
「ビンラディン以後の世界」 ― 2011/05/05 14:41
えー、9/11から10年目、あのWTCビル破壊の演出者オサマ・ビンラディンが、ちょいと呆気なく、アメリカの手によって殺害された。「ヘラ鳥」1面の見出しは「殺害」を避けて「BIN LADEN'S DRAMATIC DEMISE」つまり「ビン・ラディンの劇的消滅」となっている。今後、各コラムニストが続々と見解を述べるだろう。取り敢えず1本づつ、ポイントのみご紹介致す。
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「THE POST-BIN LADEN WORLD」(05/03)
「ビンラディン以後の世界」 ロジャー・コーエン
(リビヤ・ベンガジ発)
★オサマ・ビンラディンが死んだ、古い中東とともに。それは偶然だが必然でもあった。
ビンラディンは、イスラム王侯国(CALIPHATE)再建という歴史巻き戻しに賭けた。そしてアラブ世界が多元的共存と自己表現に向かう急激な変化の中で、ちょいと重要度を失った人物として死んだ。
彼は、アラブ世界が、ナセルのナショナリズムから、政治的イスラムの中に自己発見する時代に遭遇したのや。それは西欧に対する反抗の有力なカタチだった。彼の死は、チュニスからカイロにかけて、ポスト・イスラム革命が、デモクラシー価値観に依って専制権力を打倒した時に重なったのや。デモクラシー価値観は、長いことアラブによって否定されて来たのだが。
大方のアラブは、今や西欧的近代主義と自分たちの信仰との間に道理に合ったバランスを求めている。アラブのプライドが、西欧へのコンプレックスから自らを解き放ったのやねん。
ビンラディンの「聖戦」は西欧の優越と侵攻に対するアラブの屈辱を糧としたものだ。ビンラデインはこの憤りをアルカイダに叩き込み、ニヒルな大量殺戮を可能にさせたのや。彼はアラブ全体が、怒りと復讐の政治から離れ、新しい責任を代表する政府へと向かいつつある時に死んだと言える。
時代は流れた。方向喪失とアメリカの武力侵攻による痛ましい10年間だった。苦悶を与えた大量殺戮は3文字に集約出来る。9/11。これが新世紀のスタートに盛られた毒液であり、ビンラディンはその最後の一滴だったのや。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ウム。博学なコーエン君の見解は、この後、いろいろな方向に広がるが割愛させて頂く。
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「THE POST-BIN LADEN WORLD」(05/03)
「ビンラディン以後の世界」 ロジャー・コーエン
(リビヤ・ベンガジ発)
★オサマ・ビンラディンが死んだ、古い中東とともに。それは偶然だが必然でもあった。
ビンラディンは、イスラム王侯国(CALIPHATE)再建という歴史巻き戻しに賭けた。そしてアラブ世界が多元的共存と自己表現に向かう急激な変化の中で、ちょいと重要度を失った人物として死んだ。
彼は、アラブ世界が、ナセルのナショナリズムから、政治的イスラムの中に自己発見する時代に遭遇したのや。それは西欧に対する反抗の有力なカタチだった。彼の死は、チュニスからカイロにかけて、ポスト・イスラム革命が、デモクラシー価値観に依って専制権力を打倒した時に重なったのや。デモクラシー価値観は、長いことアラブによって否定されて来たのだが。
大方のアラブは、今や西欧的近代主義と自分たちの信仰との間に道理に合ったバランスを求めている。アラブのプライドが、西欧へのコンプレックスから自らを解き放ったのやねん。
ビンラディンの「聖戦」は西欧の優越と侵攻に対するアラブの屈辱を糧としたものだ。ビンラデインはこの憤りをアルカイダに叩き込み、ニヒルな大量殺戮を可能にさせたのや。彼はアラブ全体が、怒りと復讐の政治から離れ、新しい責任を代表する政府へと向かいつつある時に死んだと言える。
時代は流れた。方向喪失とアメリカの武力侵攻による痛ましい10年間だった。苦悶を与えた大量殺戮は3文字に集約出来る。9/11。これが新世紀のスタートに盛られた毒液であり、ビンラディンはその最後の一滴だったのや。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ウム。博学なコーエン君の見解は、この後、いろいろな方向に広がるが割愛させて頂く。
「失敗者の死」 ― 2011/05/05 14:41
「DEATH OF A FAILURE」(05/03)
「失敗者の死」 ロス・ダウザット
★ビンラディンの死去の前から、ワレワレには、彼やその同類は、現在も将来も、実質的な恐怖ではないと解っていた。
9/11の後、人々は、飛行機、摩天楼を見上げ、野球場や卒業式、新年祝賀にもビクついていた。飛行機や列車に乗れば、ヒゲを生やした男に警戒の眼差しを送り、ショッピング・モールでは不審な包装物に神経尖らせ、空港や停車場では陽気なアラブ訛りを気にした。容赦なく、恥もなく、他人の横顔に注意を払った。アルカイダが再び攻撃して来るのは時間のモンダイだと感じていたのや。
その10年後、ワレワレは未だにソレを待ち受けている。事実、靴爆弾男や下着爆弾男など、多くの企みが仕掛けられたが、情報局と警察の努力で事前に防いだのやねん。
アルカイダが、ファシズムや共産主義に匹敵する、ワレワレの文明に対する有力な恐怖であった時代は過ぎた。ビンラディンが、実際の能力以上に怖れられた時代は過ぎたのや。
9/11直後には、そんなことは分からなかった。ビンラディンが遂に死んだ今、それは既に分かっていたことだったという感じが強い。
段々と、ワレワレには分かって来たのやねん。ワレワレは強く、ヤツ等は弱いのだと。
ビンラディンの有名な箴言をご存じか?アメリカとアルカイダを競馬にナゾラえて、言ったものや。「強い馬と弱い馬が分かっていれば、人々は自然と強い馬を選ぶ」と。彼のマチガった想像力によれば、アメリカは弱いヤクザ馬で、アルカイダは強い破壊馬だった。
でも、この10年間が、そのマチガイをワレワレに教えて呉れたのや。オサマ・ビンラディンは、何時だって「弱い馬」だったのさ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ウム。この若手コラムニストはハッキリと、ビンラディンと時代のズレを指摘している。この10年間で、アラブを回る世界の様相が一変したことはタシカや。それがビンラディンの影をウスクしたことは、どのコラムニストも共通して指摘していることやねん。同じ日の「ヘラ鳥」論説のタイトルは「悪党の死」(DEATH OF A VILLAIN)となってるが。
「失敗者の死」 ロス・ダウザット
★ビンラディンの死去の前から、ワレワレには、彼やその同類は、現在も将来も、実質的な恐怖ではないと解っていた。
9/11の後、人々は、飛行機、摩天楼を見上げ、野球場や卒業式、新年祝賀にもビクついていた。飛行機や列車に乗れば、ヒゲを生やした男に警戒の眼差しを送り、ショッピング・モールでは不審な包装物に神経尖らせ、空港や停車場では陽気なアラブ訛りを気にした。容赦なく、恥もなく、他人の横顔に注意を払った。アルカイダが再び攻撃して来るのは時間のモンダイだと感じていたのや。
その10年後、ワレワレは未だにソレを待ち受けている。事実、靴爆弾男や下着爆弾男など、多くの企みが仕掛けられたが、情報局と警察の努力で事前に防いだのやねん。
アルカイダが、ファシズムや共産主義に匹敵する、ワレワレの文明に対する有力な恐怖であった時代は過ぎた。ビンラディンが、実際の能力以上に怖れられた時代は過ぎたのや。
9/11直後には、そんなことは分からなかった。ビンラディンが遂に死んだ今、それは既に分かっていたことだったという感じが強い。
段々と、ワレワレには分かって来たのやねん。ワレワレは強く、ヤツ等は弱いのだと。
ビンラディンの有名な箴言をご存じか?アメリカとアルカイダを競馬にナゾラえて、言ったものや。「強い馬と弱い馬が分かっていれば、人々は自然と強い馬を選ぶ」と。彼のマチガった想像力によれば、アメリカは弱いヤクザ馬で、アルカイダは強い破壊馬だった。
でも、この10年間が、そのマチガイをワレワレに教えて呉れたのや。オサマ・ビンラディンは、何時だって「弱い馬」だったのさ。
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ウム。この若手コラムニストはハッキリと、ビンラディンと時代のズレを指摘している。この10年間で、アラブを回る世界の様相が一変したことはタシカや。それがビンラディンの影をウスクしたことは、どのコラムニストも共通して指摘していることやねん。同じ日の「ヘラ鳥」論説のタイトルは「悪党の死」(DEATH OF A VILLAIN)となってるが。
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